HISTORY

1969年全日本選抜スピードスケート競技会(軽井沢スケートセンター)で500Mを39.7秒で優勝した際の鈴木恵一前監督(当時 国土計画)の現役時代の雄姿。今見てもほれぼれするコーナーリングです。

1969年全日本選抜で優勝した際の鈴木前監督のスケーティングフォーム

 昭和19年卒 簗瀬泰男さんご提供のお写真です。 

奥様の簗瀬峰子様のお話によると体育会スケート部員として体格に恵まれていた簗瀬泰男さん(昭和19年卒)は、体力中心のトレーニングを行い、持前の気の強さでスピードスケート部員として主に5000M、10000Mを得意としてました。

 現在のように科学的・医学的アドバイスもなく、勤勉な日々の練習の継続が、よい成果に繋がるだけと、青春の大半を氷の上で過した想い出が脳裏に残っていると奥様に生涯語っていたそうです。

赤城山にて 大学3年(昭和17年) 神宮大会関東代表選手の練習風景 先頭より3番目が簗瀬泰男さん 昭和17年 全国決勝にて3位入賞と伝聞されている
赤城山にて 大学4年 (昭和18年) 明治大学スピード代表選手 向かって右より2番目が簗瀬泰男さん 写真提供:伊香保町奉賛会

1世代前の寮(昭和33年7月~平成10年7月)

以前の氷愛寮になります。かなり年季の入った寮で、入寮した時はあまりに貧祖な寮にたじろぎますが、4年間暮らしているとだんだん愛着が湧いてきます。この寮を取壊して、現在の寮になりました。

現在の寮(平成12年4月~現在)

現在の寮は、以前の木造造りから鉄筋コンクリート造りの寮に建て替えられ、近代的な造りの寮となりました。ミーティングもできる食堂も完備しており、トレーニングルームも常設しています。

現在の氷愛寮の外観
中庭の様子
中庭 部屋方向を見る
寮内通路
トレーニングルーム外観
部屋の様子
トレーニングルーム中の様子
食堂の様子
食堂 調理場
食堂中央部
宮崎今佐人 大学4年間でインカレ7回優勝
大学4年間で出場した5000m、10,000mで出場機会8回中、7回優勝、5000mは4連覇、10000mも3年次を除き優勝3回と驚異的な成績を収めた。写真は、第76回大会で2年ぶりの10000m優勝を決めた宮崎今佐人(平成16年1月)。
2年ぶりの10000m優勝を決め、表彰台に立つ宮崎今佐人(平成16年1月)
2年ぶりの10000m優勝を決めた宮崎今佐人(平成16年1月)の滑り
宮崎今佐人(平成16年卒) 大学4年間のインカレ成績(平成13年~16年)
学年 5000m 10000m
1年(第73回)北海道・釧路 優勝 7分7秒52 優勝 14分59秒59
2年(第74回)群馬県・伊香保 優勝 6分55秒07 優勝 14分24秒14
3年(第75回)北海道・苫小牧 優勝 7分6秒19 3位 14分38秒99
4年(第76回)栃木県・日光 優勝 7分0秒19 優勝 14分27秒13
第76回(平成16年)インカレ(日光)前人未踏の全6種目完全優勝
第76回インカレ(日光)において、500m、1000mは小原唯志、1500mは小林和朗、5000mと10000mは宮崎今佐人が優勝、2000mリレーも制し、第14回大会(昭和13年1月)以来66年ぶり、戦後初となる全種目完全優勝を成し遂げた(過去の全種目優勝はいずれも明治大学が達成[第9回、第10回、第14回]、500m、1500m、5000m、10000m、2000mRの5種目)。前年、スピード部門4連覇を逃し、2位となった悔しさを見事全種目優勝で制し、雪辱を果たした。
第76回大会1000mで見事優勝した小原唯志(平成18年卒)と3位に入った小林和朗(平成16年卒)。この年の明治は全種目で圧倒的な強さをみせた。
1000mで見事優勝し、表彰台に立つ小原唯志(平成18年卒)と3位に入った小林和朗(平成16年卒)
第76回大会1500mを制した小林和朗(平成16年卒)
1500mを制した小林和朗(平成16年卒)の力強い滑り
第76回(平成16年)大会 全6種目完全優勝 結果
種目 順位 氏名 タイム
500m 優勝 小原 唯志 73秒41
1000m 優勝 小原 唯志 1分14秒68
1500m 優勝 小林 和朗 1分54秒82
5000m 優勝 宮崎 今佐人 7分0秒19
10000m 優勝 宮崎 今佐人 14分27秒13
2000mR 優勝 明治大学 2分25秒41