<鈴木恵一前監督のスケーティング>
1969年全日本選抜スピードスケート競技会(軽井沢スケートセンター)で500Mを39.7秒で優勝した際の鈴木恵一前監督(当時 国土計画)の現役時代の雄姿。今見てもほれぼれするコーナーリングです。
<戦前の明治大学スケート部>
昭和19年卒 簗瀬泰男さんご提供のお写真です。
奥様の簗瀬峰子様のお話によると体育会スケート部員として体格に恵まれていた簗瀬泰男さん(昭和19年卒)は、体力中心のトレーニングを行い、持前の気の強さでスピードスケート部員として主に5000M、10000Mを得意としてました。
現在のように科学的・医学的アドバイスもなく、勤勉な日々の練習の継続が、よい成果に繋がるだけと、青春の大半を氷の上で過した想い出が脳裏に残っていると奥様に生涯語っていたそうです。
長野市オリンピックアリーナエムウェーブができる前は、長野スケートセンターで10月頃から合宿するのが恒例でした。1周300mちょっとしかないリンクでしたが、日本で最も早く氷上練習ができるとあり、実業団、大学生がこぞって合宿していました。エムウェーブができると同時に役割を終え、閉鎖となりました。
宮崎今佐人選手(平成16年卒)大学4年間でインカレ7回優勝
大学4年間で出場した5000m、10,000mで出場機会8回中、7回優勝、5000mは4連覇、10000mも3年次を除き優勝3回と驚異的な成績を収めた。
写真は、第76回大会で2年ぶりの10000m優勝を決めた宮崎今佐人先輩(平成16年1月)。
宮崎今佐人(平成16年卒) 大学4年間のインカレ成績(平成13年~16年) | ||||
学年 | 5000m | 10000m | ||
1年(第73回)北海道・釧路 | 優勝 | 7分7秒52 | 優勝 | 14分59秒59 |
2年(第74回)群馬県・伊香保 | 優勝 | 6分55秒07 | 優勝 | 14分24秒14 |
3年(第75回)北海道・苫小牧 | 優勝 | 7分6秒19 | 3位 | 14分38秒99 |
4年(第76回)栃木県・日光 | 優勝 | 7分0秒19 | 優勝 | 14分27秒13 |
第76回(平成16年)インカレ(日光)前人未踏全6種目完全優勝 第76回インカレ(日光)において、500m、1000mは小原唯志、1500mは小林和朗、5000mと10000mは宮崎今佐人が優勝、2000mリレーも制し、第14回大会(昭和13年1月)以来67年ぶり、戦後初となる全種目完全優勝を成し遂げた(過去の全種目優勝はいずれも明治大学が達成[第9回、第10回、第14回]、500m、1500m、5000m、10000m、2000mRの5種目)。 |
第76回(平成16年)大会 全6種目完全優勝 結果 | |||
種目 | 順位 | 氏名 | タイム |
500m | 優勝 | 小原 唯志 | 73秒41 |
1000m | 優勝 | 小原 唯志 | 1分14秒68 |
1500m | 優勝 | 小林 和朗 | 1分54秒82 |
5000m | 優勝 | 宮崎 今佐人 | 7分0秒19 |
10000m | 優勝 | 宮崎 今佐人 | 14分27秒13 |
2000mR | 優勝 | 明治大学 | 2分25秒41 |
第76回大会1000mで見事優勝した小原唯志先輩(平成18年卒)と3位に入った小林和朗先輩(平成16年卒)。この年の明治は全種目で圧倒的な強さをみせた。
米倉大介(平成12年卒)が日本新記録樹立
1998年1月2日(金)~4日(日)に長野市オリンピック記念アリーナ(M-wave)で開催された第66回全日本スピードスケート選手権大会の10000mにおいて、米倉大介選手(当時2年生)が13分56秒54の日本新記録を樹立しました。その後、白幡圭史選手(コクド)、野崎貴裕選手(王子製紙)に記録を更新されたものの3位に喰いこみました。
長野五輪の代表選考会も兼ねたこの大会で見事3位に入ったものの選考から漏れ、惜しくも五輪代表を逃しました。下記は日本新記録を打ち立てた時の米倉選手のラップになります。