鈴木恵一 前明治大学スケート部監督死去

 明治大学スケート部前監督の鈴木恵一さんが腎不全のため埼玉県所沢市の病院で1月21日(火)に死去されました。享年82歳。スピードスケート男子500メートルの元世界記録保持者で、1964年インスブルック、1968年グルノーブル、1972年札幌と3大会続けて、冬季五輪出場を果たしました。札幌五輪で選手宣誓を務めた他、インスブルック五輪5位、グルノーブル五輪で8位、札幌五輪で19位と長きにわたり、日本スケート界を牽引しました。

 北海道・苫小牧工高から明治大学に入学。大学1年、2年のインカレは500m、1500m2冠、3年次はインカレが暖気のため中止になったものの4年生となった北海道帯広市で開催された第38回大会では500mで優勝し、3連覇を果たしました。明治大学卒業後は、国土計画に入社し、第一線で活躍しました。

 その後、明治大学スケート部監督、プロ野球西武ライオンズで広報を担当、1993年に再び明治大学スケート部監督に復帰、当時2部に低迷していたスケート部を再建し、第72回(2000年1月)から第79回大会(2007年1月)の8年間で7度の部門優勝、2004年1月に栃木県日光市で開催された第76回インカレでは、第14回大会以来67年ぶりとなる史上2度目の全種目完全制覇を果たしました。

 日本スケート連盟でスピード強化部長、副会長を歴任。2010年バンクーバー五輪の日本選手団総監督を務めました。2017年には「明治大学特別功労賞」も受賞しています。

 長年の功績に敬意を表すると共にご逝去を悼み心よりお悔やみを申し上げます。

1998年当時の鈴木恵一監督
建替え前、最後の氷愛寮を前に(一番左側が鈴木恵一前監督)
1969年全日本選抜優勝時の鈴木恵一前監督のスケーティング

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